『マイ・フィクション』は、幽霊や怪物が襲ってくるタイプではなく、「自分の存在や大切な人との記憶が書き換えられるかもしれない」という心理的な怖さが強いサスペンス・ラブストーリーです。
じわじわと日常が崩れていく不気味さはありますが、夫婦や家族への愛情も物語の軸にあり、単純なホラー作品とはかなり雰囲気が異なります。
- 『マイ・フィクション』は怖い?結論は「心理的にじわじわ怖い」
- 『マイ・フィクション』が怖い理由① 自分だけが忘れられる不気味さ
- 『マイ・フィクション』が怖い理由② 多田義孝の「なりすまし」が身近すぎる
- 『マイ・フィクション』が怖い理由③ 記憶を書き換えられる世界
- 森沼ネクスタウンの雰囲気も不気味?平和すぎる町にある違和感
- 怖いだけじゃない!正樹と真弓の思い出が切ない
- 後半はさらに怖い?「伊川正樹」の正体が揺らぐ
- 『マイ・フィクション』はどんな人なら怖く感じやすい?
- 『マイ・フィクション』の怖さから見える本当のテーマを考察
- 最終回に向けて怖さはどう変わる?
- まとめ|『マイ・フィクション』はホラーより心理サスペンスの怖さ
- よくある質問
『マイ・フィクション』は怖い?結論は「心理的にじわじわ怖い」
「『マイ・フィクション』って怖いドラマなのかな?」と、見る前に気になっている方もいるのではないでしょうか。
結論からいうと、怖さはあります。ただし、いわゆるホラーの怖さとは少し違います。
『マイ・フィクション』は、2026年7月5日からABCテレビ制作・テレビ朝日系の日10ドラマ枠で放送されている作品です。
主演は玉森裕太さん。物語の中心となる伊川正樹を演じています。
公式のイントロダクションでは、「記憶」に隠された真実をめぐる予測不能なオリジナルサスペンス・ラブストーリーとして紹介されています。
つまり、幽霊が現れたり、暗闇から何かが飛び出してきたりすることを中心にした作品ではありません。
むしろ怖いのは、昨日まで当たり前だった日常が、目を覚ました瞬間から自分だけを残して別のものに変わっていることです。
主人公の正樹は、事件件数ゼロ・連続1100日を誇る平和な町「森沼ネクスタウン」で暮らしていました。
老人ホーム「はるなぎ園」で介護士として働き、結婚6年目の妻・真弓(宮澤エマ)と、文鳥のピョートルと一緒に穏やかな日々を送っています。
ところが、転落事故によって意識不明となり、1週間後に目を覚まして自宅へ戻ると状況は一変。
妻は正樹を覚えておらず、同僚の多田義孝(ジャンボたかお)が「伊川正樹」として生活していました。
自分の家なのに自分の居場所がない。
自分の妻なのに「どなたですか?」と言われる。
そして、自分ではない誰かが、自分の名前で自然に暮らしている。
この設定だけでも、想像すると背筋が少し冷たくなりますよね。
私自身、こうした「普通の生活が静かに壊れていくタイプ」の作品は、派手なホラーよりもあとから怖さが残ることがあります。
『マイ・フィクション』の怖さも、まさにそこにあると感じます。
『マイ・フィクション』が怖い理由① 自分だけが忘れられる不気味さ
このドラマで最初に強く感じる怖さは、主人公だけが周囲の記憶から消えていることです。
転落事故から1週間後、正樹は妻・真弓のもとへ戻ります。
ところが真弓は、長年一緒に暮らしてきたはずの正樹を見ても、夫として認識しません。
それどころか正樹に怯え、そばにいる多田義孝を夫のように扱っています。
さらに怖いのは、真弓だけではないこと。
正樹は自分が確かに存在していたことを確認しようと、大学時代の同期である市原良吾のもとへ向かいます。
しかし、そこでも返ってきたのは「どちら様ですか?」という反応でした。
職場でも、大学でも、妻からも忘れられている。
こうなると、「周囲がおかしい」のか、それとも「自分の記憶がおかしい」のかさえ分からなくなってきます。
人は普段、自分自身の存在を毎日証明しながら生活しているわけではありません。
家族が自分を知っている。
友人が過去を覚えている。
職場には自分の記録がある。
そんな無数の小さなつながりによって、「自分はここにいる」という感覚を保っています。
『マイ・フィクション』では、その土台が一つずつ剥がされていくんですね。
だからこそ、怪物が出てこなくても怖い。
人間関係そのものが自分の存在証明になっていることを逆手に取った、不安の作り方だと私は感じました。
一方で、第2話ではわずかな救いもあります。
介護施設の入居者・塚本華枝だけは、正樹と真弓のことを覚えていました。
誰にも存在を認めてもらえない状況の中、正樹は「自分の記憶は嘘じゃなかった」と涙を流します。
ここは怖さの中に差し込む、小さな灯りのような場面ですね。
『マイ・フィクション』は視聴者をずっと不安の底へ落とし続けるのではなく、ときどき「まだ信じられるものがある」と感じさせてくれるところも特徴です。
『マイ・フィクション』が怖い理由② 多田義孝の「なりすまし」が身近すぎる
もう一つ大きな怖さを生んでいるのが、多田義孝です。
多田は正樹の同僚だった人物。
ところが正樹が事故から戻ると、彼が「伊川正樹」として真弓と暮らしていました。
単に家に入り込んでいるのではありません。
周囲の人間まで、多田を伊川正樹だと認識しているのです。
この状況がかなり不気味なんですよね。
もし正体不明の怪人物なら、視聴者も最初から警戒できます。
けれど多田は、もともと正樹の日常のすぐそばにいた同僚です。
そんな人物が、いつの間にか自分の人生の中へ入り込み、妻との暮らしまで奪っている。
「知らない誰か」より、「知っていたはずの人」が変わるほうが怖く感じられることがあります。
第2話では、その多田の危険性がさらに明確になります。
正樹がもう一度真弓のもとへ向かい、彼女と街を離れようとしたところへ多田が現れ、スタンガンで正樹を襲撃しました。
それまでの「何を考えているのか分からない不気味さ」から、一気に「実際に危害を加えてくる人物」へと変わった瞬間です。
さらに次回予告では、多田が正樹になりすます生活について、楽しんでいたことをうかがわせる発言もしていました。
つまり、多田は偶然この状況に巻き込まれた人物ではなく、少なくとも正樹の人生が置き換わっている事情について何らかの情報を持っている可能性が浮かびます。
なぜ多田は正樹になったのか。
なぜ真弓はそれを不自然に思わないのか。
誰がどこまで知っているのか。
答えが分からないまま話が進むことで、視聴者側にも正樹と同じ不安が広がっていきます。
『マイ・フィクション』が怖い理由③ 記憶を書き換えられる世界
序盤から漂っていた「記憶がおかしい」という違和感は、物語が進むにつれてより具体的になっていきます。
後半では、記憶を書き換える技術として「Persona Shiftプログラム」の存在が明らかになります。
このプログラムは、囚人更生を目的とした記憶改変に関係しており、「ニューロヴァイス・コーポレーション」が研究していました。
第6話以降では、8年前に香坂睦美(国仲涼子)が刑事部長・上本吉則から囚人更生プログラムへの協力を求められていた背景なども浮かび上がります。
さらに、8年前に無差別殺人事件を起こした室谷隆敏(吉村界人)は、刑務所にいるはずの人物でした。
ところが実際には、記憶を書き換えられたうえで別の人生を送っていることが明らかになっていきます。
職員に見える人物が、新しい記憶が定着しているか監視しているという状況まで描かれます。
ここまで来ると、『マイ・フィクション』序盤の不可解な出来事が単なる偶然ではないことが見えてきます。
そして、この設定こそ作品の怖さを一段深くしている部分だと思います。
記憶というのは、目に見えません。
自分自身でも、「この思い出は確実に本物だ」と外側から証明するのは難しいものです。
もし技術によって記憶を書き換えられるなら、楽しかった思い出も、愛した記憶も、自分がどんな人物だったかという感覚さえ揺らいでしまう。
『マイ・フィクション』は、「記憶が変わったら、その人は同じ人間なのか?」というところまで踏み込んでくるドラマなんですね。
こうした怖さは、見終わったあとにも残ります。
お化けを見た怖さなら、テレビを消せば日常へ戻れます。
でも「自分の記憶はどこまで自分を作っているのだろう」と考え始めると、日常そのものが少し違って見えてきます。
そこが、この作品ならではのじわじわとした怖さではないでしょうか。
森沼ネクスタウンの雰囲気も不気味?平和すぎる町にある違和感
『マイ・フィクション』の怖さを語るうえで外せないのが、物語の舞台である森沼ネクスタウンです。
森沼ネクスタウンは、事件件数ゼロ・連続1100日を達成した「平和すぎる町」として登場します。
普通なら、とても暮らしやすそうな町ですよね。
ところが物語を見ていくと、この「平和すぎる」という言葉自体がだんだん不気味に感じられてきます。
序盤では町内放送で無料定期健診のお知らせが流れたり、住民たちがごく普通の日常を過ごしていたりします。
景色だけを見れば、事件が起きるような場所には思えません。
それなのに、正樹の周囲では説明できない出来事が続いていきます。
第2話の終盤では、おばあさんや警察官まで記憶が曖昧になっているような様子が描かれました。
さらに、事故ゼロの日数が増えていたため、単純に「過去へ戻った」と考えることも難しい状況です。
それにもかかわらず、自宅では真弓が何事もなかったかのように正樹を笑顔で迎えます。
正樹自身も、それまで経験した出来事を忘れてしまったかのような状態になります。
まるで街全体が一度リセットされたような感覚です。
この場面は第2話でも特に怖さが強いところでした。
大声も派手な恐怖演出も必要ありません。
昨日まで必死に逃げていた主人公が、次の瞬間には穏やかな日常へ戻っている。
その「何事もなかったことになっている」静けさが、かえって怖いんですね。
私としては、森沼ネクスタウンの「事件ゼロ」という設定は、単なる町の紹介以上の意味を持っているように感じます。
人々の問題が本当に解決された結果として平和なのか。
それとも、何かを消したり忘れさせたりすることで「問題がない町」に見えているのか。
物語が進み、「Persona Shiftプログラム」という記憶改変の仕組みが登場したことで、序盤に感じた町への違和感もより意味深くなりました。
美しく整った世界ほど、その裏側に何が隠れているのか気になる。
そんなサスペンスらしい怖さが、森沼ネクスタウンには漂っています。
怖いだけじゃない!正樹と真弓の思い出が切ない
ここまで読むと、「かなり重くて暗いドラマなのかな」と感じる方もいるかもしれません。
でも、『マイ・フィクション』は怖さだけを楽しむ作品ではありません。
公式が「サスペンス・ラブストーリー」と掲げている通り、愛する人との記憶が物語のもう一つの中心になっています。
第2話で特に印象的なのが、正樹が真弓へ二人の思い出を語る場面です。
たとえば、いちごソフトが溶けてしまい、真弓が泣きそうになったこと。
そして、正樹がトンビにホットドッグを取られて落ち込んだこと。
人生を変えるような大事件ではありません。
夫婦の間だけに残る、ちょっと笑ってしまうような小さな記憶です。
でも、だからこそ本物らしく感じられるんですよね。
長く一緒に暮らしている二人の関係は、大きな記念日だけでできているわけではありません。
「そういえば、あのときこんなことあったね」と笑える、小さな出来事の積み重ねがあります。
正樹が真弓に思い出を語りかける場面では、真弓も何かを思い出しそうな反応を見せます。
ここにはサスペンスとはまったく違う、柔らかな時間が流れていました。
ただし、『マイ・フィクション』では、その温かささえ次の怖さにつながります。
「もし、この幸せな記憶まで誰かに作られたものだったら?」
そう考えた瞬間、甘い思い出が急に危ういものへ変わります。
この「温かさと怖さが隣り合わせになっている構造」が、この作品の大きな魅力だと思います。
怖いシーンの直後に愛情を感じる。
愛情にほっとした直後、「それは本当にあった出来事なの?」と疑わされる。
だから視聴者の気持ちも、安心する場所をなかなか見つけられません。
後半はさらに怖い?「伊川正樹」の正体が揺らぐ
『マイ・フィクション』は、序盤だけを見ると「主人公の人生を何者かに奪われた物語」に見えます。
ところが中盤以降、その前提そのものが大きく揺らいでいきます。
DNA検査によって、伊川正樹として生きていた主人公が、実は二宮祐介本人であることが分かります。
二宮祐介は、二宮由梨(森川葵)の夫で、警察官だった人物。
由梨の認識では、祐介は2年前、現場検証中にトラックにはねられて亡くなったことになっていました。
ところが、由梨の家に飾られていた二宮祐介の遺影は、正樹と瓜二つ。
玉森裕太さんが二役を演じることで、視聴者にも「同じ顔なのに別人なのか、それとも同一人物なのか」という混乱を体感させる仕掛けになっています。
さらに、正樹の妻・真弓についても大きな事実が明らかになります。
真弓の本当の名前は石野奈々美。
7年前、夫・石野辰哉を殺害したとして10年の実刑判決を受けた人物であることが、高岸の調査によって判明します。
つまり、正樹と真弓が過ごしていた「結婚6年目の夫婦」という穏やかな日常そのものが、どこまで本物だったのか分からなくなってくるのです。
第5話のサブタイトルも「作られた夫婦、嘘の思い出」。
序盤で視聴者が「どうか本物であってほしい」と願った夫婦の記憶に、真正面から疑問を突きつける展開でした。
そして第7話まで進むと、二宮由梨についても過去が揺らぎ始めます。
賢人の誘拐事件をきっかけに、7年前、由梨と津村大輔(野村周平)が婚約関係にあったことが判明。
ところが由梨には、津村と過ごした記憶がありません。
由梨にとっての夫は二宮祐介です。
ここで新たに浮上するのが、「二宮が由梨の記憶を書き換えたのではないか」という疑惑です。
2026年8月23日放送予定の第8話・最終話では、こうした記憶にまつわる真相と、二宮がすべてを動かした目的が描かれることになります。
第1話では「かわいそうな被害者」に見えた正樹。
しかし話が進むほど、「本当に彼はただの被害者なのだろうか」と印象が変わっていきます。
これは個人的に、『マイ・フィクション』のかなり面白い怖さだと感じています。
視聴者は最初、正樹の目線を信じて物語に入ります。
正樹が覚えていることを「事実」だと思い、正樹を忘れた周囲を「おかしい」と考えます。
でも、その正樹自身の記憶も加工されたものかもしれない。
視聴者が頼っていた主人公の視点まで信用できなくなる。
この構造によって、単なる犯人探しとは違うサスペンスが生まれています。
『マイ・フィクション』はどんな人なら怖く感じやすい?
『マイ・フィクション』の怖さは、血の多い描写や怪奇現象よりも、精神的な不安に寄っています。
そのため、怖さの感じ方にはかなり個人差がありそうです。
特に怖く感じやすいのは、次のようなテーマが苦手な方でしょう。
- 自分だけ周囲から忘れられる展開
- 家族や恋人が別人のように変わる展開
- 記憶喪失や記憶改変
- 主人公自身の記憶も信用できない物語
- 日常の中に少しずつ違和感が増えていく作品
- 「誰を信じればいいのか分からない」タイプのサスペンス
一方、「怖いドラマは苦手だけれど、お化けや怪物が出るホラーでなければ見られる」という方なら、比較的挑戦しやすい作品だと思います。
もちろん、多田がスタンガンで正樹を襲うなど危険を感じさせるシーンや、殺人事件に関する過去も登場します。
ただ、作品全体として恐怖だけを前面に押し出しているわけではありません。
中心にあるのは、「記憶が変わっても愛は残るのか」「過去を忘れれば人は別の人生を生きられるのか」という、人と人との関係をめぐる問いです。
そのため雰囲気としては、ホラーというより、ミステリー色の濃い心理サスペンスにラブストーリーが重なった作品と考えると分かりやすいでしょう。
『マイ・フィクション』の怖さから見える本当のテーマを考察
ここからは私なりの考察になります。
『マイ・フィクション』の怖さの核心は、「記憶を書き換えられること」そのものだけではないように感じています。
もっと怖いのは、自分の人生が本物だったのか確認できなくなることではないでしょうか。
第1話の正樹は、自分が伊川正樹であり、真弓の夫であり、「はるなぎ園」で働く介護士だと信じています。
それは本人にとって疑いようのない事実でした。
ところが周囲から見ると、その前提が通用しません。
そして物語が進むと、視聴者が正しいと思っていた正樹側の記憶さえ疑わしくなります。
さらに正樹だけではありません。
真弓には石野奈々美としての過去があり、由梨にも津村と婚約していた過去がある。
複数の人物が「自分が覚えている人生」と「実際にあった過去」の食い違いを抱えています。
だから『マイ・フィクション』というタイトルも意味深く感じるんですよね。
英語の「fiction」は、作り話や創作を意味します。
もし私たちが「自分の人生」だと思っているものが、記憶によって組み立てられた一つの物語なのだとしたら。
その記憶を誰かに書き換えられたとき、新しい人生も本人にとっては「現実」になってしまうのでしょうか。
Persona Shiftプログラムは、犯罪者の更生という目的で使われていた技術として登場します。
凶悪犯罪を起こした人物の記憶を書き換え、新しい人格、新しい生活を与える。
表面だけを見れば、「過去から切り離してやり直すための技術」と考えることもできます。
しかし、そこには大きな問題があります。
本人の同意はどうなのか。
失われた過去を知る家族や被害者はどうなるのか。
そして、「悪い記憶を消した人」は本当に過去の本人とは別人と言えるのか。
本作はサスペンスの形を取りながら、かなり重い問いをそっと投げかけているように思います。
さらに興味深いのが、記憶が嘘かもしれないと分かっても、そこで生まれた感情まで嘘と言えるのかという点です。
正樹と真弓の思い出が仮に作られたものだったとしても、その日々の中で二人が笑い、相手を大切に思った感情まで完全な偽物なのでしょうか。
由梨が二宮祐介を愛した記憶についても同じです。
過去の情報だけを見れば、「改ざんされた可能性のある記憶」です。
でも由梨にとっては、その時間を本当に生きてきた感覚がある。
ここが、『マイ・フィクション』を単なる記憶改変サスペンスで終わらせない部分だと思います。
「事実」と「心に残った感情」は、必ずしも同じではない。
正しい過去を取り戻せばすべて解決するわけではなく、それまで信じて生きてきた時間も、その人の一部になっています。
だから真実が判明するほど、登場人物たちはむしろ苦しくなっていく。
第8話の番組情報では、残酷な現実を知った由梨の二宮への愛情が、次第に憎しみへ変わっていくとされています。
この変化も、ただ「だまされていたから怒る」という単純なものではないでしょう。
愛した記憶そのものを否定しなければならないかもしれない苦しさ。
そこに、この作品ならではの切なさがあります。
最終回に向けて怖さはどう変わる?
『マイ・フィクション』は全8話で、第8話となる最終話は2026年8月23日に放送予定です。
通常の日10ドラマ枠より15分繰り下がり、22時30分から23時24分の放送予定となっています。
最終話のサブタイトルは「ただ、君が笑ってくれるなら」。
ここまで記憶改変、なりすまし、殺人事件、囚人更生プログラムと重い謎が積み重なってきただけに、この柔らかなタイトルがかえって印象に残ります。
第7話時点では、7年前に由梨と津村が婚約していたことが判明。
しかし由梨には、その記憶がありません。
一方、由梨が夫として覚えているのは二宮祐介。
「二宮が由梨の記憶を改ざんしたのか」という疑惑とともに、二宮が何を目的として一連の出来事を動かしていたのかが最終話最大の焦点になっています。
私は、この作品の結末で大切なのは「誰が記憶を書き換えたか」だけではないと思っています。
むしろ、真実を知ったあとに登場人物たちがどの人生を自分のものとして受け入れるのかが重要なのではないでしょうか。
記憶を元に戻せば、すべて元通り。
そんな簡単な物語にはならない気がします。
すでに正樹、真弓、由梨、津村たちは、それぞれ複数の過去と感情を背負っています。
だからこそ最後は、「正しい記憶とは何か」よりも、「知ってしまった真実とどう生きるか」が問われるのではないか。
個人的には、そんな結末を予想しています。
怖さから始まった物語が、最後にどんな「愛」の形へたどり着くのか。
そこが最終話で一番見届けたいところです。
まとめ|『マイ・フィクション』はホラーより心理サスペンスの怖さ
『マイ・フィクション』は確かに怖い作品ですが、幽霊や怪物によるホラーではなく、記憶・人格・人間関係が崩れていく心理的な怖さを描くドラマです。
主人公・伊川正樹が事故から目覚めると妻に忘れられ、同僚の多田義孝が自分になりすましているところから物語は始まります。
そして第2話では大学時代の同期からも存在を否定され、多田にはスタンガンで襲われ、さらに状況そのものがリセットされたかのような不可解な展開まで描かれました。
その後、記憶を書き換える「Persona Shiftプログラム」や「ニューロヴァイス・コーポレーション」の存在が明らかになり、正樹自身が二宮祐介だったこと、真弓が石野奈々美だったことなど、主人公たちの人生そのものが揺らいでいきます。
怖さの中心にあるのは、「もし自分の大切な記憶が、誰かに作られたものだったら?」という不安です。
しかし同時に、正樹と真弓の何気ない夫婦の思い出など、温かな場面もしっかり描かれています。
そのため、「怖い=ずっと暗くて恐ろしい作品」ではありません。
不穏なサスペンスの中に切ないラブストーリーが流れていて、「記憶が変わっても、人を愛した気持ちは残るのか」を考えさせられる作品です。
個人的には、お化けが出るホラーより、日常が少しずつおかしくなる作品のほうが怖いという方には、かなり刺さりやすいドラマだと思います。
静かな町、優しい夫婦の思い出、見慣れた人たち。
そんな安心できるはずのものが一つずつ信用できなくなっていくからこそ、『マイ・フィクション』の怖さはじわじわと胸に残るのでしょう。
よくある質問
『マイ・フィクション』はホラーですか?
幽霊や怪物を中心にしたホラー作品ではありません。
記憶改変やなりすまし、自分だけが周囲から忘れられる状況などを描いた、心理サスペンス色の強いラブストーリーです。
『マイ・フィクション』で特に怖いのは何ですか?
主人公が妻や職場の人から忘れられ、別人が自分になりすましていることに加え、物語が進むと自分自身の記憶まで本物か分からなくなっていく点です。
記憶を書き換える「Persona Shiftプログラム」の存在も、作品の不気味さを強めています。
怖いドラマが苦手でも『マイ・フィクション』は見られますか?
派手なホラー表現より、謎や心理的な不安を楽しむ作品なので、幽霊系のホラーが苦手な方でも比較的見やすいでしょう。
ただし、スタンガンによる襲撃や殺人事件に関する設定など緊張感のある場面はあります。怖さだけでなく、夫婦や家族の記憶と愛情を描く切ない物語として見ると、作品の雰囲気をつかみやすいですよ。
ライオポン(らいおぽん)
ドラマ命の専業主婦ライター


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