パスピエ「マイ・フィクション」の歌詞は、物語のような人生に憧れながら、やり直せない現実こそ自分だけの“フィクション”なのだと気づいていく歌だと考えられます。
2017年1月25日に発売されたアルバム『&DNA』収録曲で、作詞は大胡田なつきさん、作曲は成田ハネダさん、編曲はパスピエ。明るく軽快なサウンドの奥に、「自分の人生をどう生きるのか」という意外なほど深い問いが隠されています。
パスピエ「マイ・フィクション」の歌詞の意味とは?
「マイ・フィクション」というタイトルだけを見ると、自分で作り上げた空想や架空の物語について歌った曲なのかな、と想像してしまいますよね。
けれど歌詞を最後までたどっていくと、むしろ描かれているのはその反対です。
主人公はフィクションの世界に強く惹かれながらも、最後には現実の人生そのものを、自分だけの物語として受け止めていくように見えます。
そこにあるのは、単純な「夢を持とう」というメッセージではありません。
正しい方法を学び、理想的な物語を求め、現実とは違う場所へ行きたいと願っても、自分は結局ここにいる。その少しほろ苦い事実を認めたところから、この曲の本当の意味が立ち上がってくるのです。
歌詞の前半では、How to本やAからZまでの手順をなぞるようなイメージが登場します。
つまり最初の主人公は、人生にも「正しい攻略法」が存在すると思っているように感じられます。
何かに迷ったとき、本を読めば答えがある。
順番通りに進めれば成功できる。
清く正しく生きれば、それなりにきれいな結末へたどり着ける。
そんな、いわば人生の“模範解答”を探しているのでしょう。
ところが、現実はそう簡単ではありません。
正攻法だけでは通用しないし、誰もが知っている王道のストーリーにも心が動かない。だからこそ主人公は、自分のいる現実とは違う「フィクション」に憧れていきます。
私はここに、この曲のとても人間らしい部分を感じました。
私たちもドラマや映画、小説を見ていると、「こんな人生だったら」「こんなふうに劇的に変われたら」と思うことがありますよね。
現実では同じ一日が淡々と続いていても、物語の中なら突然運命が動き出します。
だからフィクションは、ときに現実よりも鮮やかに見えるのでしょう。
しかし「マイ・フィクション」は、そこで夢の世界へ逃げ切る歌ではありません。
むしろ曲が進むほどに、主人公の視線は空想から現実へと戻ってきます。
そして最終的に、「自分が今生きている人生もまた、一度しか進めない自分自身の物語なのだ」という地点へたどり着く。
この逆転こそ、「マイ・フィクション」というタイトルのいちばん面白いところだと感じます。
なぜ主人公はフィクションになりたかったのか?
この曲を読み解くうえで大切なのが、主人公がなぜそこまでフィクションに惹かれているのか、という点です。
歌詞では、現実を冷静に見つめながらも、そこから完全には離れられない人物の姿が描かれています。
夢から覚めても残るのは現実。
理想を語ったところで、自分自身が本当に架空の登場人物になれるわけではありません。
それでもフィクションになりたい。
この矛盾した気持ちには、単なる現実逃避だけではなく、「もっと意味のある人生を送りたい」という願いが隠れているように思います。
物語の主人公には目的があります。
事件が起き、誰かと出会い、選択を迫られ、最後には何らかの結末へ向かっていきます。
けれど現実の私たちは、自分が何話目にいるのかも、今起きている出来事に意味があるのかも分かりません。
家事をして、仕事をして、ご飯を食べて、眠って、また朝が来る。
そんな普通の日々の中では、「私はいったい何の物語を生きているんだろう」と感じる瞬間があるかもしれません。
だからこそ、筋書きのあるフィクションがまぶしく映るのでしょう。
また歌詞には、少年時代や無垢さを連想させる言葉も登場します。
ここも重要です。
子どもの頃は、おとぎ話や空想を「現実ではないから価値がない」と切り捨てたりしません。
ヒーローになれるかもしれない。
知らない世界へ行けるかもしれない。
人生には何かすごいことが待っているかもしれない。
そんな感覚を自然に持っています。
ところが大人になるほど、私たちは現実的になります。
成功する可能性、失敗するリスク、お金、仕事、時間、人からどう見られるか。
いろいろな条件を考えるようになり、無邪気に何かを信じることが難しくなっていきます。
だから歌詞の中で少年時代の感覚へ戻ろうとすることは、単なる懐古ではなく、人生をもう一度物語として見直したいという願いにも感じられるのです。
おとぎ話や「優しい嘘」が示しているもの
「マイ・フィクション」の中盤では、おとぎ話や空想の世界にも意味がある、という考え方が浮かび上がります。
もちろん、おとぎ話は現実そのものではありません。
魔法が使えたり、奇跡のような出来事が起こったり、現実には存在しない人物や世界が描かれたりします。
それでも、人は何百年、何千年と物語を語り継いできました。
なぜでしょうか。
私は、事実ではない物語だからこそ届けられる真実があるからだと思います。
たとえばドラマを見て泣くとき、画面に映っている出来事が実際に自分の身に起きているわけではありません。
登場人物も設定も脚本によって作られたものです。
それでも、その人物の寂しさに自分を重ねたり、誰かを愛する姿に救われたりします。
つまりフィクションは「事実ではないもの」でありながら、受け取る側の本当の感情を動かすことができるのです。
歌詞の中でも、現実ではない物語が人を救う可能性が示されています。
これは、フィクションを単なる逃避として否定していないところが素敵ですね。
主人公は最終的に現実へ戻ってきますが、だからといって空想そのものを捨てるわけではない。
むしろ、物語から受け取った優しさや希望を持ったまま、自分自身の現実へ戻ろうとしているように感じられます。
ここにパスピエらしいひねりがあります。
「現実を見なさい」というだけなら、とても単純な歌になってしまいます。
反対に、「現実なんて忘れて空想へ行こう」というだけでも、この曲の結末にはつながりません。
フィクションには人を救う力がある。でも、自分が生きられるのは結局この現実だけ。
その両方を認めているからこそ、歌詞に奥行きが生まれているのでしょう。
ドラマ好きの私としては、この感覚にはとても共感します。
物語を見たからといって現実そのものが突然変わるわけではありません。
それでも、いいドラマを見終えた翌朝、昨日までと同じ景色がほんの少し違って見えることがありますよね。
フィクションは現実の代わりになるものではなく、現実へ戻っていくための小さな灯りになるものなのかもしれません。
「マイ・フィクション」は、そんな物語の役割まで静かに包み込んでいるように感じます。
「Take2はない」が意味する人生の一回性
曲の終盤で物語の意味を大きく変えるのが、人生には撮り直しがないというイメージです。
ここまで主人公は、現実とフィクションを行ったり来たりしながら考えてきました。
正しい生き方とは何なのか。
王道の物語に乗れば幸せになれるのか。
空想にはどんな意味があるのか。
自分もフィクションのような存在になれるのか。
けれど最後には、もっと根本的な事実に気づきます。
人生は、一度始まってしまえば同じ場面を最初から撮り直すことができない。
映画やドラマなら、俳優が台詞を間違えればもう一度撮影できます。
小説なら、作者が文章を書き直せます。
ゲームなら、セーブした場所からやり直せることもあります。
でも現実では、昨日とまったく同じ場所へ戻り、別の選択を試すことはできません。
「あのとき別の言葉を選べばよかった」
「あの日、あちらへ進んでいたら」
そんな後悔を抱えることはできても、その場面そのものを再演することはできないのです。
一見すると、少し怖い考え方ですよね。
けれど私は、この曲がそれを悲観的にだけ描いているとは思いません。
やり直せないからこそ、一つひとつの選択が「自分の物語」になります。
成功した場面だけではありません。
失敗した日も、遠回りした時間も、何も起こらなかったように思える一日も含めて、自分の人生になっていく。
そう考えると、「マイ・フィクション」という言葉の意味が一気に変わって見えてきます。
最初は「私もフィクションになりたい」という、現実の外側にある世界への憧れだったものが、最後には「この一度きりの人生こそ、私の物語だ」という認識へ変わっているのではないでしょうか。
私は、このタイトル回収がとても鮮やかだと感じました。
フィクションになれなかった主人公が失敗したのではありません。
そもそも、自分はすでに「マイ・フィクション」を生きていた。
そのことに物語の幕が下りようとする頃になって気づくのです。
だからこの曲には、「今を大切にしよう」という意味だけでなく、もう一歩深いメッセージがあるように思えます。
あなたの人生を誰かの王道ストーリーと比べなくてもいい。
正解の手順通りでなくても、壮大でなくても、自分しか経験できない時間が積み重なれば、それはすでに一つの物語になる。
そう受け取ると、タイトルの「マイ」という一語がとても重要に見えてきますね。
アルバム『&DNA』の中で「マイ・フィクション」はどんな曲?
「マイ・フィクション」は、パスピエのアルバム『&DNA』に収録されています。
『&DNA』は2017年1月25日発売で、「マイ・フィクション」はアルバムの7曲目にあたります。
作詞はボーカルの大胡田なつきさん、作曲は成田ハネダさん。編曲はパスピエ名義です。
参考情報では、『&DNA』はオリコンで最高16位、6週登場した作品として記録されています。
また、「マイ・フィクション」は2017年8月23日発売の映像作品『パスピエ TOUR 2017 “DANDANANDDNA” -Live at NHK HALL-』にも関連する楽曲として掲載されています。同映像作品は最高14位、2週登場という記録が紹介されています。
歌詞だけを見ると哲学的なテーマを扱っていますが、曲そのものは重苦しい雰囲気ではありません。
2023年8月14日に公開された個人レビューでは、明るく軽快なポップソングとして紹介され、跳ねるようなキーボードが楽曲を引っ張ることや、初期のパスピエを思わせる音色があるという評価もされています。
もちろん、これは公式見解ではなく一リスナーによる解釈です。
ただ、歌詞の内容と音の印象を重ねて考えると興味深いものがあります。
「人生には撮り直しがない」というテーマだけを文字にすると、かなり重いですよね。
ところが、それを沈み込むような音楽ではなく、軽快なポップスとして聴かせる。
私は、この組み合わせ自体が曲のメッセージにつながっているように感じます。
一度きりの人生だからといって、ずっと深刻な顔をして生きる必要はない。
迷いながら、間違えながら、ときには適当に進んでしまいながら、それでも物語は続いていく。
そんな軽やかさがサウンドから伝わってくるからこそ、最後の気づきも説教臭くならないのでしょう。
また、同レビューではアルバム前半の勢いを受け継ぎながら、後半へ橋渡しするような役割を感じたという趣旨の評価もされています。
7曲目という位置も踏まえると、「マイ・フィクション」は一曲だけで完結する魅力を持ちながら、『&DNA』というアルバム全体の流れの中で聴くことで別の表情が見えてくる曲なのかもしれません。
パスピエ「マイ・フィクション」の世界観をさらに考察
ここからは、歌詞に描かれている流れをもとに、私なりにもう少し踏み込んで考えてみたいと思います。
私がこの曲で特に面白いと感じるのは、「フィクション」と「現実」が最後には対立しなくなることです。
冒頭では、両者は別のものとして描かれているように見えます。
こちら側に現実があり、向こう側に魅力的なフィクションがある。
主人公は向こうへ行こうとするけれど、行くことができない。
普通なら、そこで「現実を受け入れよう」という結論になりそうですよね。
ところが、この曲のタイトルは「リアリティ」ではなく「マイ・フィクション」です。
ここが重要だと思います。
主人公はフィクションを否定して現実を選ぶのではなく、現実の見方そのものを変えることで、自分の人生を物語として捉え直しているのではないでしょうか。
人生には作者が見えません。
次に何が起きるかも分かりません。
伏線なのか偶然なのか判断できない出来事もあります。
会わなければよかったと思った人が、何年後かに人生の大切な人物になることもあるかもしれません。
反対に、ずっと続くと思った関係が突然終わることもあります。
その瞬間には意味が分からなくても、あとから振り返ったとき、バラバラだった出来事が一つの流れに見える。
これは、ドラマを最終回まで見たあと、第1話を振り返る感覚にも少し似ています。
最初は何気なく見えていた場面に、後から意味が生まれることがありますよね。
人の人生も同じなのかもしれません。
今いる地点からは「ただの失敗」に見えていることでも、数年後に振り返れば、その出来事があったから別の場所へ進めたと思うことがあります。
そう考えると、この曲にある“幕が下りた後に気づく”という感覚も印象的です。
私たちは人生の真ん中にいる間、自分の物語の意味を完全には理解できません。
それでも物語は進んでいく。
その不確かさを含めて生きることこそ、「マイ・フィクション」なのではないでしょうか。
「王道のストーリー」が響かない理由
もう一つ注目したいのが、曲の早い段階で王道の物語への距離感が示されていることです。
人生には、世の中から示される典型的なコースがあります。
何歳ごろまでにこれをして、その次にはこれをして、こうなれば成功。
もちろん、そうした道を選んで幸せになる人もいるでしょう。
けれど全員の人生が同じ筋書きになるわけではありません。
「マイ・フィクション」が伝えているのは、王道そのものを否定することではなく、他人のストーリーをそのまま自分の人生へ当てはめても、必ずしも心は動かないということなのではないかと思います。
これは冒頭のHow to本にもつながっています。
人生について書かれた本を読んだとしても、その著者と自分は別の人間です。
AからZまで全部なぞっても、同じ結末になる保証はありません。
自分の物語には、自分にしか選べない場面があります。
それを受け入れたとき、初めて「マイ・フィクション」という言葉が、自分だけの人生という意味を帯びるように思えます。
「一度きり」は焦るためではなく、受け入れるための言葉
人生に二度目の撮影がないと考えると、「失敗してはいけない」と焦ってしまいそうです。
でも私は、この曲をそういう完璧主義の歌としては受け取りませんでした。
むしろ逆です。
撮り直せないのなら、失敗した場面も作品から消せません。
ならば、それも含めて自分の物語として抱えていくしかない。
これは少し切ないけれど、とても優しい考え方ではないでしょうか。
ドラマなら編集で切られてしまうような、何も起きなかった一日だって、現実の人生には存在します。
寝坊した朝。
誰とも大した話をしなかった午後。
夕飯を食べて、テレビを見て、そのまま眠った夜。
そんな場面にも人生の時間は確かに流れています。
壮大なスケールの出来事が起きなくてもいい。
主人公らしい劇的な選択ばかりしなくてもいい。
「マイ・フィクション」という曲は、華やかな物語への憧れから始まりながら、最後には何気ない現実まで含めて一度きりの物語なのだと認める歌なのかもしれません。
そこが、聴き終えたあとにじんわり残る魅力だと私は感じました。
まとめ|「マイ・フィクション」は自分の人生を物語として受け入れる歌
パスピエ「マイ・フィクション」は、2017年1月25日発売のアルバム『&DNA』に収録された楽曲です。
作詞は大胡田なつきさん、作曲は成田ハネダさん、編曲はパスピエ。軽快なポップサウンドの中で、現実と空想、人生の正解、一度きりの時間という奥深いテーマが描かれています。
歌詞の主人公は、最初から自分の人生を肯定できているわけではありません。
正しい方法を探し、王道のストーリーに疑問を持ち、フィクションの世界へ憧れます。
おとぎ話や空想が人を救うことも認めながら、それでも最後には、自分が生まれた瞬間から続いている現実には撮り直しがないことへ目を向けていきます。
そこで「フィクション」の意味が反転します。
憧れていた架空の世界へ入れなくても、自分にはすでに、一度しか生きられない「自分の物語」がある。
「マイ・フィクション」とは、現実から逃げるための物語ではなく、現実を自分自身の物語として受け止め直すための言葉なのではないでしょうか。
私はこの曲を、単純な「今を生きよう」という応援歌よりも、もう少し静かで優しい作品だと感じています。
人生を完璧に生きなさい、と迫っているわけではありません。
間違えた場面も、迷った時間も、何も起きなかった一日も撮り直すことはできないからこそ、それら全部が自分にしかない物語になる。
そんなふうに考えると、いつもの何気ない日常も少し違って見えてきますね。
華やかなドラマの主人公にはなれなくても、私たちはそれぞれ、自分にしか進めない物語の途中にいる。
軽やかな音の向こうからそんなメッセージが聞こえてくるところに、「マイ・フィクション」という楽曲の深い余韻があるのだと思います。
よくある質問
パスピエ「マイ・フィクション」はいつ発売された曲?
「マイ・フィクション」は、2017年1月25日発売のアルバム『&DNA』に収録されています。アルバムでは7曲目に配置されています。
「マイ・フィクション」の作詞・作曲は誰?
作詞は大胡田なつきさん、作曲は成田ハネダさんです。編曲はパスピエが担当しています。
言葉の意味をまっすぐ説明するのではなく、フィクションと現実の関係をひっくり返しながら人生観へつなげていく構成が、この曲の大きな魅力です。
「マイ・フィクション」というタイトルにはどんな意味がある?
歌詞全体から考えると、架空の世界そのものというより、一度しか生きられない自分自身の人生を「自分だけの物語」と捉えた言葉だと解釈できます。
フィクションへの憧れから始まり、最終的には現実こそ自分が生きる物語なのだと気づいていく流れが、このタイトルに凝縮されているように感じられます。



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